「ダイバーシティ」とは、「多様性」という意味ですが、今、企業経営において、この「ダイバーシティ」〜働く人の多様性をどう扱うか、という問題が非常に注目されているのです。
ダイバーシティの捉え方は様々で、
・ジェンダー・ダイバーシティ(性的役割認識の多様性)
・エイジ・ダイバーシティ(年齢の多様性)
・グローバル・ダイバーシティ(国籍などの多様性)
・オピニオン・ダイバーシティ(意見の多様性)
ほか、たくさんの考え方があります。
日本において、企業経営の中でのダイバーシティが注目されてきたのには、女性の活躍を重視する安倍政権の成長戦略が一役買っています。
もちろん、ダイバーシティは女性活躍と同一の意味ではなく、他のダイバーシティも含んだ広い概念です。
しかし、世界的に見て、日本の女性の社会における活躍度合いは大変低いという現状があります。そのため、日本企業においては、「ダイバーシティ」と言うと、「女性の登用」や「ワークライフバランス」を実現する働き方、といった風に捉えられるケースが多いようです。
内閣府が発表している世界経済フォーラムの「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」(男女格差指数)によると、日本の順位は2014年には142カ国中104位と、きわめて低い結果だったようです。この指数は、経済分野、教育分野、政治分野、保健分野のデータから作成されています。
一方で、国連開発計画(UNDP)のジェンダー不平等指数においては、2013年の日本の順位は152カ国中25位です。こちらは、妊産婦死亡率などの指数が評価された結果と考えられているようです。
ジェンダー・ギャップ指数で上位の国(ギャップのない国)を上げると、
2014年には
1位 アイスランド
2位 フィンランド
3位 ノルウェー
4位 スウェーデン
5位 デンマーク
6位 ニカラグア
7位 ルワンダ
8位 アイルランド
9位 フィリピン
10位 ベルギー
あれ?あれ?
先進7カ国の名前はないですね。
北欧の国、福祉国家が多いというのも面白い。
まあ、日本は先進国中でも女性活躍度、ジェンダー・ギャップの解消は低い国なのだそうですが・・・。
詳細は見えませんが、日本においては、「女性は基本的人権においては大切にされてはいるものの、活躍できる社会にはなっていない」というのが現状のようです。
最近は、「女性も仕事をして、社会における重要な存在として役割を担う」という考え方が、日本においてもかなり進んで来たように感じていますが、私が長女を産んだ19年前は、まだまだそうでもありませんでした。
たとえば、
子どもを保育園に迎えに行かなくてはならないのだけれど、終業時刻が遅いために間に合わない。
フレックスタイムなどの多様な働き方を取り入れられれば良いが、そういう対応を嫌う人が多い。
など。
日本は「和」の文化を持っています。
自分を押さえて周囲に「合わせる」。
なので、最大公約数的な働き方に「合わせる」とか、最大公約数的な感じ方に「合わせる」ことが求められる社会なのですよね。
宗教においては、日本人の多くはダイバーシティの精神を有していますが、社会生活においては、結構、「村社会」志向かもしれないですね。
今回の会合の中で、世界的にダイバーシティ推進に携わっていらっしゃった年配の女性に質問をしました。
「女性は感情的になりやすいと言われます。男性のように感情を押さえる訓練を子どもの頃からしていないからだと思いますが、そのために、企業においては女性が管理職になるのは不適切である、と考える人が多いようです。これについて、どう思いますか?」
この質問に対する彼女の回答は
「そんなこと言っているのは日本だけですよ。世界においては、男であっても、感情むき出しで自分の意見を主張し合い、そのあげくに理解し合う、こういうことが当たり前なのに、日本だけが、『こうしてはいけない』、『場を読め』などの考え方に捉われている。」
といったものでした。
私も感情が出やすい女性の一人です。
また、その場の常識を読み取れないことがあります。
男社会の中では、自分らしく仕事ができず、自分を押さえていなくてはやっていけないと感じることが多々あります。
「自分は人とは感じ方が違うから、社会的には不適合なのかな〜」
「自分は人と見え方が違うから、経営には向かないのかな〜」
などと、悩むこともあります。
同様に、日本の女性の多くは男性社会の常識に適合できず、自分のありままの姿を社会から否定され、自分に対する自信を失いがちなのではないでしょうか。
けれど、今回の会合に出て、「自分らしくあって大丈夫なのだ」と思いました。
「ダイバーシティ」は、実はイノベーションの源泉でもあるのです。
今までの考え方、社会常識に当てはまらない異分子が入るからこそ、新しい気づきがチーム、組織に産まれます。
「違い」は新しいことが起きるための必要不可欠な要素であり、「違い」を排除するのは正しいことではありません。
日本においては、「人と違う」ということは、排除されたり、矯正されたりする要因になりがちですが、本当はそれは誤りなのかもしれません。
同じものを見ても、一人は「私はこう感じている」。
けれど、別の人は「私はこう感じている」。
「こう感じるのが普通だ」と、どちらかを「正」であり、反対を「誤」であるとしてしまう考え方は間違っています。
人には色々な感じ方、色々な捉え方がある。
それが当たり前なのです。
違ったら、違いを理解しあえば良いのです。
その中で、話し合い、理解しあい、目的のために、目標遂行に向かうのが組織であり、そういう組織であればこそ、イノベーションが起きるのだと思います。