「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」 |
きょうは池上彰さんの「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」(文春新書)をフォトリーディング。
この本、お勧めです。池上彰さんって、本当に、分かりにくい事をすごく分かりやすく教えてくださる方ですよね。
この本を読むと、私たち日本人の宗教観への理解が深まります。
日本人は仏壇と神棚を同居させてしまうような「いい加減」なところがあって、キリスト教やイスラム教などの一神教を信仰する人たちとは異なる柔軟な世界観を持っています。
一見、宗教に無関心であったり、宗教心を持っていないかのように見えますが、実はそうでもない。
日本人の多様性を受け入れ、曖昧を許容する文化、価値観は、もしかしたら、これからの世界の中で非常に注目されるべきものであり、日本は今後、世界において重要な役割を果たすことになるのではないだろうか、と思わせてくれる本です。
実は、フォトリーディングは、この日本人がもともと持っている文化、価値観と非常に近い考え方を持っています。
「完全にしっかり理解しなくてはならない」「できた、できない、読んだ、読んでいないの二分法で考えなくてはならない」のような思考法は、勧善懲悪的であり、神と悪魔を二つに分ける一神教的な世界観とも言えるでしょう。
一方、日本には「鬼」という存在が昔噺の中によく出てきますが、鬼は完全に悪い存在ではなく、時には愛すべき点も見られるような、非常に曖昧な立ち位置の存在です。
おそらく、日本人は昔から、「すべてがわるい、すべてが良い」と言ったようなことはなく、あらゆる物事には両面性があり、また、それは単に裏返しというだけではなく、同時に双方が現れることもあるようなものであることを、自然と理解していたのでしょう。
日本人の宗教観の曖昧さ、「いい加減さ」は、物事はすべて「分けて」理解できるものではないという本質を捉えたものであるように感じます。
フォトリーディングも、同様に「すべてでなくて良い」、「いい加減」を受け入れる、といった考え方を持っています。
アメリカ生まれの読書法ではありますが、ある意味、日本的な読書法であると、私は感じています。
欧米の様々な学問が、近年、東洋的な思想を取り入れ始めていることを考えれば、アメリカ発で、このような東洋的読書法が生まれていることは、世界文化の自然なトレンドであるとも言えるでしょう。
「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」 |
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